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vol.115 #20 福岡 将太

vol.115 #20 福岡 将太 『「努力に勝る天才なし」 口に出して言うことはありませんが、座右の銘として大切にしている言葉です』

盛り上げ役の印象とは裏腹に小・中・高はキャプテンとしてチームをまとめた

サッカーを始めたきっかけを教えてください。

幼馴染が「サッカーをやってみよう」と言ってくれたことがきっかけだったと思います。始めた当初の記憶は全然ありませんが、年齢は5歳頃でしたかね。負けず嫌いだったので、よく泣いていたのは覚えています(笑)。

どんな少年時代でしたか?

近所の小学校に通っていましたが、学校でサッカー。学校が終わっても帰ってからすぐにサッカー。休みの日もサッカー。いまも好きですけど、その頃もめちゃくちゃ好きでした。

育成年代は、どういった指導を受けてきましたか?

小学生時代は、JACPA東京FCでプレーしました。走ることをはじめ、サッカーの基本を学んだと思います。また、スクールとは別に選抜チームにも入ることができました。そこではキャプテンも務めさせてもらいました。

意外というと失礼ですが、キャプテンタイプなんですね。

『小・中・高』とそれぞれキャプテンを経験させてもらいましたが、小学生時代の選抜チームが初めてのキャプテンでした。責任感は強い方なのかなと思いますが、『チームをまとめる』ために言葉で示すよりも行動するタイプだったと思います。意外とちゃんとしてるんですよ(笑)。

ポジションはどこでしたか?

小学生時代は主にFW。他にはSHやSB。中学時代はSB。高校時代の1・2年生では両SB、3年生ではSHをやりました。

実践学園高校時代、関東ではどういった立ち位置でしたか?

東京都のT1リーグ(東京都リーグ1部)には常に入っていました。また、僕の先輩世代は関東大会、インターハイ、選手権などに進出していて、1つ下の学年でしたが僕も出場させてもらっていました。

高校からプロへ。プロを
意識させた『言霊』という言葉

プロ入りに至る経緯を聞かせてください。

いま振り返ると高校2年時に試合に出られていたことが大きかったのかなと思います。そこから高校3年になり、8月頃に湘南ベルマーレに練習参加させてもらう機会を得ました。1度参加して、その後にもう一度呼んでもらって。2度目は1週間くらい参加させてもらいました。それから1カ月くらい経って、大学進学なども考えないといけない時期でもあったので高校の監督から結果を聞いてもらいました。結果的にその連絡をしてもらったタイミングで湘南ベルマーレに入ることが決まりました。

どこが評価されたと解釈していますか?

推進力と身体能力。そう言っていただきました。

プロ以外の選択肢は持っていましたか?

大学からのオファーはありませんでしたが、大学でサッカーを続けることも考えました。ただ、サッカーができることが一番ではあったものの、プロからのオファーがなかった場合は、まったく違う道も考えていました。子どもが好きで、例えば先生になるための学校であり、教育系への進学も考えていました。

学生時代に影響を受けた選手はいますか? また、影響を受けたできことはありますか?

加地亮選手です。子どものころは、加地選手みたいになりたいと思っていました。できごととしては親から『言霊』という言葉を教えてもらって影響を受けました。「自分が言葉にしてきたことは、確かに実現することも多いなあ。」そう感じました。その言葉を知った影響もあって、「夢は何ですか?」と聞かれる場面では「サッカー選手になりたい」と答えるようになっていました。そのきっかけをもらったのが、小学3年生の頃だったと思います。

プロ入り後は転機の連続
自覚の甘さを問われるできごとも

プロ初年度(14年)の湘南ベルマーレ時代、福島ユナイテッドFC(期限付き移籍)でプレーした15~16年の2年間。どんな思い出がありますか?

プロ1年目は、高校生気分が抜けておらず、プロとしての自覚が足りていなかったと思います。実は10日間の自宅謹慎を命じられたこともあります。

なぜですか?

もともと足首が弱く、その強化をすることを課せられていました。ただ、そのトレーニングをしていないのに、「した」と言ってしまったことがあります。そういったことが積もりに積もって、結果的に謹慎を命じられました。社長に「もう辞めるか?」と聞かれたこともあり、親には泣かれたこともありました。自分のことで親が泣く姿を見て、本当に悲しい思いをさせてしまったと反省しました。いま思うと、自分の中であらためて「しっかりやらなければいけない」という気持ちになったときでした。プロ初年度は、正直なところ「プロになれた!」ことに満足してしまっていたのかもしれません。

プロ意識を再確認させられた1年目を経て、福島ユナイテッドFCでの2年間は何を学びましたか?

試合に対しての入り方や試合の準備をすごく学びました。しっかりと準備できた週は、実際にいい試合ができ、自分自身もいいプレーができました。ただ、少しでも準備を怠るとミスに結びついてしまい、準備の大切さを痛感させられました。

高校時代と比べて、プロで感じた最も大きな違いは何でしたか?

勝つ、負ける。その差を最も感じました。お金を払って観に来てくれているという責任をあらためて感じさせられました。そして、その責任を思うことの大切さも感じました。

完全移籍した栃木SCでの2年間(17~18年)は最もキャリアを伸ばしました。栃木で学んだことは何ですか?

加入初年度の17年はJ3からJ2昇格を目指したシーズンで、半分出場できて、半分出場できなかったというのが事実です。出場しているときだからこそ、チーム内の信頼や責任感をより行動で示さなければいけないと感じさせられました。また、(シーズン後半に出場機会が減った理由を振り返りながら)J2昇格が求められた中で、自分が加入する以前から栃木に在籍していた選手と比べるとサッカーに対する姿勢が自分には足りていなかったのかもしれません。

圧倒的なスピード
先天的なギフトを両親に感謝

湘南ベルマーレ加入時に評価されたように、スピードや身体能力は群を抜いていると思います。少年時代からずっと速いのですか?

幼稚園のときから走るのが好きで、学校行事のリレーなんかには必ず呼ばれていましたね。

DNAですか?

父親がめちゃくちゃ足が速かったと聞いています(聞いた話では50m・5秒台だそう)。母親もスポーツをしており、身体能力は両親のおかげでもあると思うので感謝しています。お姉ちゃん3人もスポーツをしていましたが、基本的に運動ができる家族だったと思います。

チーム内で最も速い自信はありますか?

うーん・・・、どうですかね。(岸本)武流、かわくん(河田篤秀)も速いので。その2人といい勝負ができるかなぁとは思っています。短い距離のスピードは、例えば(杉本)竜士くんなんかには敵わないですけど、長い距離をドリブルでスピードにのって持ち込むプレーは負けないと思っています。

徳島での約10カ月間
突き付けられた課題×刺激を受けるチームメイト

いまは何を課題に取り組んでいますか?

徳島に加入して最も感じていることは、自分の基本技術のなさです(苦笑)。特にボール保持を大切にするチームですが、自分のミスで奪われてしまう場面も多いです。ただ、課題は克服するしかありませんし、自分の長所を活かすためにも伸ばしていきたいです。

新加入会見などでは「両足のビルドアップが得意」という話もありました。そこはまた別ものなのですか?

そう感じています。後ろのポジションからパスを供給すること自体は苦手ではありませんし、パスの種類の中では長い距離を両足で蹴ることのできる特徴もあると思っています。ただ、人が密集している距離感で短いパスを繰り返すことが課題だとあらためて感じています。密集した中での短いパスというのは、判断力であり、頭を使う場面も多く、難しいです。

その他に影響を受けていることはありますか?

チームメイトですね。例えば、のむくん(野村直輝)の行動はすごいなと感じています。チームのことだけではなく、ファン・サポーターとも一体感を創り出すような行動ができることに。『LOVE VORTIS』のパフォーマンスを観ていても、すごいな、いいなあと思います。

では、最後に。小学生時代に親から教わった『言霊』のストーリーを聞かせてもらいましたが、いま大切にしている言葉は何ですか?

「努力に勝る天才なし」。この言葉を小学生時代のコーチから教わりました。この言葉は前面に押し出して口に出していくものではありませんが 、座右の銘として大切にしています。努力することに向き合いながら、今後も取り組んでいきたいと思っています。

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