Vol.120 #29 松澤 香輝
GKとの出会い
サッカーを始めたきっかけを教えてください。
5歳のとき、保育園で同じクラスの子から少年団に誘われました。小学2年生まではCBでしたがまったく試合に出ることができなかったので、同世代の中で体格もよかったこともあり、コーチにGKを薦められて始めました。当時はコーチングが苦手で練習の後に個別でコーチと声を出す練習をするほど内気な性格でした。
その後、東京ヴェルディジュニアに進むと思いますが。
所属していた少年団のコーチがヴェルディの下部組織出身という縁から練習試合をおこないました。実力差は大きく、0-7か0-8で大敗しましたが、何本かセーブでき、それを見たヴェルディのスタッフがキーパースクールに通わないかと誘ってくれました。スクールに何回か通い、新小学6年生を対象にしたジュニアのセレクションに合格しました。ただ、周りのレベルが高すぎて浮いている感じがあり、周りから『実力がないと仲間に入れないぞ』という空気感があったので、自然と負けたくないという気持ちになりました。
また、当時東京ヴェルディには森本 貴幸選手がいて、中学3年生でJリーグデビューをしていました。現役の中学生でJ初ゴールを決めた試合をスタジアムで見ていて、とても衝撃を受けたことを覚えています。

負けて悔しくない時は
一回もないし、
それを
乗り越えてきたような人生
ジュニアユースでの思い出は?
同期にキローラン菜入(2021シーズン現役引退)がいて、レベルが高く、常にその選手に勝ちたい気持ちでプレーしていました。お互い刺激し合って成長していると感じましたし、チームメートに恵まれたかもしれないですね。ただ、僕はメンタルが弱く、周りから文句を言われるとすぐに落ち込んでプレーに影響を及ぼしてしまいました。
それを乗り越えていくために努力したことは?
克服できた感覚はなかったのですが、誰よりも練習してうまくなるという気持ちだけで何とか乗り越えた感じです。自分の強みはシュートストップでしたが、菜入はビルドアップ能力に長けていて、チームが求めるGK像でした。僕はそのスタイルに適しておらず、明らかに劣っていたと思います。
残念ながらユースに昇格できませんでした。
僕は菜入と一緒に昇格できると思っていましたが、結果的に菜入だけが昇格しました。ユースに上がれないと伝えられた時はショックで泣いていた記憶があります。
その後の進路を考えるとき、『プロになりたい』という強い気持ちがあったので一番強い高校に行きたいと思い、当時、高円宮杯と高校サッカー選手権で2冠を達成していた流通経済大学付属柏高校への進学を決めました。ただ、上下関係や練習が厳しく、結果的に辛い3年間になってしまいました。
サッカーを辞めたいと思ったことはありませんでしたか?
高校ではほとんど試合に出場できませんでしたが、サッカーを辞めたいと思ったことは一度もありません。『何とか試合に出たい』『ライバルに勝ちたい』という思いがずっとあり、反骨精神でサッカーをしていました。大学に入るときも、『高校のメンバーを見返してやるぞ』という気持ちが強かったです。負けて悔しくない時は一回もないし、それを乗り越えてきたような人生だったと思います。

プロを
より意識した大学時代
早稲田大学での思い出は?
1年生の時からベンチメンバーに入り、試合に絡むことができました。先輩たちのプレーや振る舞いを見て、いろんなことを吸収できました。2年生になってからはレギュラーを掴めて、少しずつ自信を持てるようになってきました。試合に出場することで仲間からの信頼を感じられた時は嬉しかったです。
2年生の夏にはジェフユナイテッド千葉の特別指定選手になりました。
夏休みに練習参加をしましたが、明らかに自分だけレベルが低かったと思います。シュートは取れないし、動きの質は違うし『ああ僕ってこんなもんだな』と感じました。プロとのレベルの差を感じ、それを埋めようと大学で練習に励みました。
4年生の時、残念ながら総理大臣杯(全国大会)に出場することはできませんでした。
正直焦りました。自分自身プロになりかったので、毎年夏に開催される総理大臣杯がJクラブのスカウトにアピールできるチャンスだと思っていました。その機会を失ってしまい、残された関東大学リーグでアピールをしたかったのですが、残念ながらJクラブからのオファーは、12月の上旬までなかったです。

練習に付いていくのに
必死だった
ヴィッセル神戸に加入した経緯は?
4年生の関東大学リーグが終わった後、急遽神戸への練習参加が決まりました。2週間、練習参加をしてクリスマスの日に神戸からオファーをいただきました。
神戸での日々について。
大学で必死に練習しましたが、プロとの差は縮まっていないように感じました。僕が神戸に加入した時、プロ2年目で19歳の吉丸 絢梓選手(2018年 徳島所属)のプレーを見て、僕よりも若い選手でこんないいキーパーがいるんだと衝撃を受けました。そのシーズン、試合に出場できず、練習に付いていくのに必死で常に4番手の立ち位置でした。
2年目からは今まで届かなかったようなシュートが捕れたり、触れたりできる感覚が増えてきました。自分の中で少しずつ成長を感じましたが、他の選手に比べると劣っていて、正直この競争に勝てないなと感じていました。

自分が変わる
きっかけとなった
野村選手の言葉
2年目で神戸を契約満了となり徳島に加入することになります。
大学3年生の時に湘南ベルマーレに練習参加した時、中河GKコーチ(ピーさん)の指導を受けました。徳島に加入するときもピーさんがGKでしたので、そんな縁もあって徳島に来たのかもしれないですね。長い付き合いです(笑)
ただ、徳島に加入した時も神戸に在籍していた時と同様に苦しい立場で、周りにうまく溶け込むことができませんでしたが、2019年に野村 直輝選手(現 大分)が来てから、少しずつ変化が生まれました。
自分が変わるきっかけとなった出来事があります。ある試合のメンバー外練習の時にシュートゲームがあり、メンバー入りしていた野村選手が僕のプレー見て「お前を見て士気が上がった。俺も頑張る」と言ってくれました。試合に出場できていない選手の気持ちや立場を理解して振る舞ってくれたおかげで、どんな時でもチームや自分の成長のために必死にやろうと思えるようになりました。
野村選手が徳島に来てなかったら今頃自分がどうなっていたか分からないですし、選手としても一人の人間としてもすごく魅力的だと感じています。もちろん、徳島には他にもお世話になったGKがいて梶川 裕嗣選手(現 磐田)、上福元 直人選手(現 京都)、長谷川 徹選手からプレーだけではなく、多くのことを学ばせていただきました。
2020年にはJ1昇格を経験しました。
チーム内にどのようなことが生まれることで昇格に繋がるのかを体感できました。自分の人生にとって非常に大きな経験だったと思います。昇格できるチームとは何かを一言で表すのは難しいですが、1つ挙げるとしたら試合に出ている選手だけではなく、試合に出ていない選手を含めた全員が、チームのために戦える集団であることだと思います。
だからこそ試合に出場している選手以上に、出場していない選手の振る舞いや取り組む姿勢が大事だと思います。


8年目で
ついに掴んだプロ初出場
ルヴァンカップGS第2節の清水戦でプロ初出場しましたね。
緊張しすぎてウォーミングアップがあまりにも上手くいきませんでした。不安でしたが、試合に出場すると不思議と一切緊張がなくなりました。この雰囲気でプレーできることが幸せで、とにかく楽しかったですね。ファーストプレーでクロスをキャッチして、パントキックで味方にボールを渡せたのでスムーズに試合に入ることができたと思います。試合全体として、デビュー戦にしては安定したプレーができたかなと感じています。
続くルヴァンカップGS第4節の清水戦で勝利の瞬間をピッチで味わいました。
気持ちの部分で負けたくないと思いましたし、自分の熱が周りに伝わるようにプレーすることを心掛けていました。その試合では自分がチームを助ける場面は多くなかったですが、みんなが強い気持ちをもって戦ってくれたので、勝利を得られたと思います。
勝利が決まった瞬間は嬉しさもありましたが、正直ホッとしました。プレッシャーを感じて毎試合プレーしていたので、解放された感覚でした。
徳島に来てから共に歩んできた、中河GKコーチはどんな人ですか?
めちゃくちゃ厳しくてほとんど褒められた記憶はありません(笑)ただ、その厳しさの裏側には選手に成長してほしいという思いがあったと思いますし、それだけ責任感が必要なポジションであるということを感じさせられました。
プロデビュー戦の時に『今のお前なら自信を持って送り出せる』と言われた時は本当に嬉しかったですし、ピーさんのためにも絶対ここで結果を残したいと思いました。


気持ちの部分で周りに刺激を与えられる選手に
今後の目標を教えてください。
苦しい経験を誰よりもしてきました。ピッチに立ったら気持ちの部分で絶対に負けたくないですし、チームの中で一番熱い選手でいたいと思っています。プレーで強みを出していくのはもちろんですが、まずは気持ちの部分で周りに刺激を与えられるような選手になりたいです。
徳島ヴォルティスと共にどんな未来を作っていきたいですか。
まずは今シーズンの目標であるJ1復帰を達成したいです。そのためにどんな立場であろうとチームをJ1に導ける選手になりたいと思います。