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vol.123 #11 杉森 考起

Vol.123 #11 杉森 考起  ヴォルティスのために、徳島のために戦わなければいけない

サッカー人生の始まり

サッカー人生が始まったきっかけ

2つ上の兄がサッカーをやっていたことがきっかけで、4歳の時に始めました。所属していたのはアクア春日井というチームでした。愛知県にはアクアというチームがいくつかあって、そのうちのひとつでした。

(名古屋)グランパスのアカデミーは小学校3年生の時に入りました。きっかけは通っていたアクアのコーチが辞めるか何かのタイミングで練習ができなくなった時期がありました。その時にグランパスに入りたいという気持ちはあったのですが、セレクションや募集はしていない時期でした。でも、親が電話をしてくれて、事情を説明したら「3回くらい練習に来ても構いませんよ」みたいな話になって、それがきっかけでグランパスへ入れました。

育成年代はどんな選手でしたか?

FWです。点取り屋でしたね(照)。点、取りまくってました(笑)。1試合30点くらい入る時もありました。もちろん僕だけじゃなくてチームでですよ。愛知県や東海地方にそこまで強いチームはいなくて、その中でグランパスがめっちゃ強いという感じでした。「何点取らなければいけない!」みたいな感じで臨んでいた中で、めちゃくちゃ点を取りまくっていました(笑)。

面白くエピソードにしていただきましたが、勝つことは当然というレベルの中で、きっと“より上の結果にこだわれ”というメッセージだったんですよね?

そうです。対戦相手も絶対にひとつ上の年代と試合をしていました。それでも勝てました。(吹ヶ)徳喜がいたからかな。

おっ、アカデミー以来、徳島で再びチームメイトになった吹ヶ選手。なぜ、急に名前を挙げたのですか?

徳喜は小学5年生でグランパスに入ったんですけど、愛知県のトレセンで会っていたので、入団するもっと前から知っていました。ずっと「すっごいなぁ!」って思っていた選手でした。

何を「すっごいなぁ!」と思っていたんですか?

とにかく大きかったんですよ。今は一緒くらいの身長になりましたけど、小学校の時は「でかい!」ってイメージでした。チームメイトに一人だけ大人がいました(笑)。

名古屋U-9から始まって、アカデミー時代では何が最も印象に残っていますか?

やっぱり全日(全日本少年サッカー大会)の優勝ですかね。全国大会で優勝した経験はその大会しかないので。

9試合17得点で優勝に導いたらしいですね?

はい、そうなんですよ(照)。すごいすね(笑)。全国大会で点を取りまくりました!

今の所、自慢話ですね(笑)。

はい(笑)。でも、僕が優秀だったというよりも、チームが本当に強かったです。みんな上手かったです。徳喜や、森晃太(現・福島)、池庭諒耶(現・福井ユナイテッドFC)、佐藤諒(現・愛媛)とかがいた年代です。

トップ昇格をした選手は何人いたのですか?

僕だけでした。

16歳でプロの世界へ

16歳に名古屋でプロ契約をして、全国的なニュースになっていたのを覚えています。

でも、それまで1度もトップチームの練習には行ったことはなかったので、自分でも「えっ!?」という感じでした。普通は練習参加してからだと思うんですけど、1回も行ったことがなかったので驚きました。

なぜプロ契約を勝ち取れたのですか?

いやー、わかりません(笑)。別に実力があったとも思わないし、自分も「トップでできるのか!?」みたいな感じでしたから。

世代別の日本代表で活躍したからという理由はあると思いますか?

それはあるかもしれません。

代表活動で思い出に残っていることはありますか?

いっぱいありますよ。

例えば、笑い話なんですけど・・・。初めて僕がひとつ上の代表に行った時の話があります。その時は14歳か15歳だったと思います。(杉本)太郎くんがいて、僕は初めて参加したのでわからないことばっかりだったんですけど「練習後に練習着から着替えないとバスに乗れないよ」みたいな嘘をつかれて(笑)。「歩いて帰らないといけないよ」って騙されて、遠い距離ではなかったので本当に歩いて帰ったんですよ。そういうものなんだなって信じました。でも、僕ともう一人の初めて参加した選手の2人が騙されていただけでした(笑)。到着した時に、総務の人からめちゃくちゃ怒られました!

何でですか(笑)。杉本選手が怒られたのではなく、杉森選手が怒られたの!?

はい、そうです。僕が怒られました(笑)。いやー、太郎くんらしい思い出ですよ。太郎くんは先輩ですけど小学校が名古屋だったので昔から知ってたんです。「流石だなぁ」と思いました(笑)。他にも同じような太郎くんとの思い出は結構あります(笑)。

ぜひ、サッカー的な代表活動の思い出もお願いします(笑)。

そうですね(笑)。

最終予選(AFC U-16選手権2012。ベスト4に入ると翌年の2013 FIFA U-17ワールドカップの出場権を獲得できる)のシリア戦で途中出場したんですけど、出場した直後のセットプレーで得点を決めたんです。それが今までの人生で一番持っていると思ったゴールです。その試合に勝つと翌年のワールドカップの出場権を得られる大事な一戦でした。めっちゃ嬉しかったです。それが一番の思い出です。

今の話を聞くと、やはり代表活動がプロ契約に結びついたのではないでしょうか?

そうなのかもしれません。代表活動で得点も取れていました。結果は意識していませんでしたけど、運が良かったと思います。

そもそもですが、プロサッカー選手を目指していましたか?

正直言うと、なれると思っていなかったです。家族の教育方針でもありましたけど、大学に進学して就職すると思っていました。僕自身もそうやって頑張るんだという想いでした。プロになれるとは思っていなかったところに、16歳でプロ契約の話をいただいた時は「絶対になった方がいい!」と思ってプロの道に進みました。親も喜んだというより、ビックリしていたんじゃないかと思います。18歳だと進路を意識する時期ですが、16歳だったし、誰も想像していなかったと思います。

杉森選手が小学3年生の時に、ご家族が名古屋へ電話してくれなかったらこの未来はなかったかもしれませんよね。

そうかもしれません。そのおかげですね。

トップチームの活動には、いつから参加するようになったのですか?

高校2年生になる前の春キャンプが最初のタイミングでした。でも、その後にトップチームで練習をやっていくのか、ユースで練習をやっていくのかはまだ決まっていなくて、そのキャンプ次第だったんです。ただ、キャンプで調子が良くて、いいパフォーマンスを出せました。余裕があったわけではありませんが、ついていけるという感じはありました。それで、このままトップチームでやっていくという感じになりました。

高校2年生というタイミングで、学校とプロサッカー選手をどうやって両立していたのですか?

高校2~3年生の時は、トップチームの練習が午前中だったとしたら練習を終えてから午後は学校みたいな感じでした。高校を通信教育に変えるかどうかみたいな話もあったんですけど「それは絶対に嫌です」ということを伝えて今までと同じように高校へ通わせてもらいました。勉強もやらなければいけないと思っていました。でも、大学進学という選択肢はなくなったので成績は下がって行きました(苦笑)。

トップチームで影響を受けた選手はいましたか?

小学生の頃から玉田圭司選手に憧れていて、自分にとってアイドル的存在だった選手と一緒にサッカーをできて緊張していました。田中マルクス闘莉王選手や、楢崎正剛選手にも緊張していたのを覚えています。みんな優しくしてくれました。

ただ、その時は子ども過ぎて、先輩から学ぶとかはできていなかったように思います。今であれば、もっと吸収できたことがあったかもしれません。無駄にしたというか、もっと活かせたんじゃないかなって。

高校卒業後、本格的にプロ生活がスタートしてからについても聞かせてください。

もっとサッカーに打ち込めたんじゃないかという反省がずっとあります。だんだん成長していく中で振り返った時にそう思いました。

17年からは出場機会が増えました。風間(八宏)監督が来て、期待してくれてチャンスをたくさんいただきました。でも、その期待に応えられるような活躍はできなかったと思います。チャンスはたくさんいただきましたが、活かしきれなかったという印象が強いです。

18年は町田に期限付き移籍させてもらいました。今まで経験したサッカーとは全然違いました。面白くないと思いながらやっていた時期もありました。でも、グランパスから飛び出して、環境が全然違う中で生活する学びがすごくありました。それにサッカーとしても町田は守備をできないと試合には出られないスタイルで、これまで全然守備をしてこなかった僕も意識をしながら頑張って守備をするようになりました。当時の町田は環境が整っていなかったですが、その中で必死にやっているチームメイトの姿を見て自分自身ももっと頑張らなければいけないという刺激も受けました。

今の杉森選手を見ると、守備もプレースタイルの一部になっているので昔から変わっていないと思っていました。

昔は前線で待って、守備はまったくしていなかったですね。町田に行ったこともそうですし、徳島に来てリカルド(ロドリゲス監督)にも守備を求められて余計に意識するようになっていったと思います。

ヴォルティスの選手として

リカルド監督の名前が挙がりましたが、20年に徳島へ期限付き移籍することが決まった時はどんなことを考えていましたか?

過去に対戦経験もありましたし、19年にプレーオフを戦っている姿も見ていて、いいチームで実力もあると思っていました。なので徳島へ行けることになったのは嬉しかったです。グランパスで試合に出られていない時期でもあったので、徳島で頑張らなければ後がないという覚悟でした。

リカルドは最初から起用してくれました。終盤に怪我をしてしまいましたが、それ以外は初めて試合に出続けられたシーズンになりました。その経験はすごく大きかったです。

サッカーとしても面白かったし、自分の幅が広がった感じがします。これまでFWが中心でしたけど、リカルドは中盤でも起用してくれて、その楽しさも徳島で発見できました。徳島でサイドの選手という風にもなっていったように思います。

町田も徳島も名古屋からの期限付き移籍でしたが、21年に完全移籍を決意されます。そこにはどんな経緯がありましたか?

レンタル(期限付き移籍)って聞くと、心の中ではグランパスの選手でもあるという保険じゃないですけど甘えもどこかにあって・・・。でも、ヴォルティスでJ1に昇格して、グランパスもJ1なのに、それでもレンタルって甘えがあるというか、そんな気がして。本当にヴォルティスの選手として戦った方がいいんじゃないかって考えるようになって、代理人ともそんな話をしました。最初は引き続きレンタルみたいな感じでしたけど「完全移籍で行きたい」って伝えました。

クラブ間の契約ではなく、杉森選手自身の意志だったんですね?

はい、完全移籍は自分の意志です。

その意志を伝えたらヴォルティスもグランパスとの間で話を進められるように頑張ってみるというような感じで動いてくれました。それが完全移籍になった経緯です。

完全移籍して、さらにヴォルティスのために、徳島のために戦わなければいけないという気持ちになりました。一昨季はJ2に降格させてしまい、昨季はJ1に復帰させられず、期待に応えられてはいませんが「もっともっと頑張りたい」という想いです。

この10年間を振り返ると、どんなプロ生活ですか?

プロ入り後、ほとんどのシーズンを1年ごとに違う監督と一緒にやってきました。監督によって求められることは全然違います。その中で学んだのが、それが自分にとって良いことか悪いことはわかりませんが、監督の求める内容によって自分のプレーも変えられる選手なのかなと感じるようになりました。めちゃくちゃ特徴がはっきりしている選手だと、どの監督のもとでも同じプレースタイルでいけるかもしれません。でも、僕はそういうタイプではありません。監督によってプレーを変えながら、その中でも一番いい状態に持っていくことができるように考えながらやっています。

海外に挑戦したい

この先、夢や目標はありますか?

やっぱり一番はヴォルティスでJ1昇格したいです。その先は、海外に挑戦したいです。海外でプレーできる選手になりたいです。

海外志向だったんですね?

海外に・・・、家族で住みたいです!(笑)。サッカーもそうなんですけど、折角プロサッカー選手をやっているなら、それを活かして海外に行って吸収してみたいことはたくさんあります。

昔から海外に行きたいとも思ってはいましたが、最近で言えば、例えばまさ(渡井理己)が海外に行って、暮らしぶりを見ていて「いい経験してんなぁ!」ってすごく思いました。名古屋の選手も含めて、身近な選手が海外へ挑戦するのを見る機会が増えて「いい経験をしている」と余計に感じるようになりました。

どこの国でプレーしたいと絞ってしまって可能性を狭めるよりは、チャンスがあれば、どこでも挑戦してみたいです。

夢は広がりますね! ちなみに、暮らすなら、どこの国に興味ありますか?

アメリカ! 一番進化している国って感じがします。サッカー(メジャーリーグサッカー)も人気らしいですよ。英語圏がいいですね。英語も話せるようになりたいので! あとは、あったかいエリアがいいですね(笑)。

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