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Vol.45 長谷川 徹

試合に出られない中、
感じていた手応え

長谷川選手は名古屋グランパスのU-15、U-18を経て、2007年にトップチームに昇格。プロ1年目の4月、ナビスコカップ予選第3節のアルビレックス新潟戦がプロとしての初試合となった。
「その経験が日々のトレーニングのモチベーションになり、常に準備をしてきたことが、2009年10月、ジュビロ磐田戦でのリーグ戦初出場に結びついたのだと思います」

だが、その後は出場機会に恵まれず、2010年は出場ゼロでシーズンを終える。
「自分には技術も経験もメンタル面も足りないことは分かっていましたが、思うようにいかず、モヤモヤした状態が続いている時にヴォルティスに声をかけてもらいました。ユースから名古屋グランパスでしかプレーしたことがなかったし、生まれ育った愛知を出たことがなかったので迷いはありました。でも、他のチームを経験することで自分が成長できるのではないかという期待や自分への挑戦だという思いもありました。何よりもヴォルティスが本気でJ1を目指しているチームだというところに一番魅かれましたね。移籍は初めての経験の上にシーズン途中でしたが、ヴォルティスには名古屋グランパスで一緒にプレーしていた選手が何人かいるので、彼らのサポートのおかげで安心して徳島に来ることができました。明るくてすぐになじめるチームだと聞いていましたが、実際、その通りになりました。本当に来て良かったです」

2011年に期限付き移籍して、2012年から完全移籍。だが、ヴォルティスでも試合に出られない日が続く。
「試合に出られるようになるためには練習しかないと思っていましたし、実際、ヴォルティスに来てから練習量は増えました。プロであってもやはり練習すればするほど、できなかったことができるようになっていき、メンタルは強くなったと思います。それが自信につながって手応えを感じていたので、焦りはなかったです」

長谷川 徹

長谷川 徹

約3年ぶりの公式戦出場、
そしてプロ初勝利

今シーズンはベンチに入る機会も増え、常に試合のことを考えて自分なりに準備をしてきたという長谷川選手。そして9月2日の第32節モンテディオ山形戦でヴォルティスの選手として初めて試合に出る。公式戦の出場は約3年ぶりだった。
「本当に少しずつですが、着実に階段をのぼっているという実感がありましたし、これまで以上にサッカーに打ち込む生活になっていました。そんな中での出場で、当日は名古屋グランパス時代から公私共に仲よくしてくれている津田選手(実際、山形戦の前半26分に先制点となるゴールを決めた)が、いつも以上に気持ちを入れて試合に臨んでいることも感じていましたし、まわりのみんなもサポートしてくれました。でも後半、ずいぶん押し込まれてしまい、結果的に前半の2点リードを守りきることができませんでした。最後列からコーチングひとつでディフェンスラインを落ち着かせるなどして、試合をコントロールすることもキーパーに求められる大きな役割ですから、もっともっとリーダーシップを発揮して、なんとしてでもゴールを守り切りたかった。本当に悔しかったです。昇格争い圏内の6位以内を目指し、チームにとって一戦一戦が大切な時期に勝ち点3を取れなかったことにも責任を感じます」

その後は山形戦に続き、天皇杯2回戦のファジアーノ岡山ネクスト戦にも出場。4-0のスコアを守り抜いていたものの、終了間際に1点失点してしまう。だがロスタイムの得点もあり、チームは5-1で勝利をおさめた。
「カテゴリーの違う相手との対戦で、メンタル的にも普段とは違う難しさもありましたが、自分がやることは変わらないと言い聞かせていました。結果的にチームが勝利し、プロ初勝利となりましたが、今回こそ最後まで無失点で試合を終わらせたかったので、特別な感情はありませんでした。山形戦の2失点目も終了間際のPKからで、そこから守り切れるかどうかを求められているし、それができなければ信頼を勝ち取っていくことはできない。プロとしてやっている以上、試合に出なければ意味がないわけで、チーム内の競争は激しいですが、シーズン終了までチャンスをつかめるように精いっぱいやっていきたいです」

長谷川 徹

長谷川 徹

一度、辞めてから
サッカーが本当に楽しくなった

初勝利よりも、試合に出られたことが自分にとって大きいと語る長谷川選手には、以前から、もし試合に出たら絶対に報告したい相手がいた。名古屋グランパスで指導を受けたキーパーコーチの伊藤裕二氏だ。

長谷川選手は小学校4年でサッカーを始め、名古屋グランパスのジュニアユースに入団。中学から指導してくれたのが伊藤コーチだった。
「でも高校1年の夏、僕はサッカーをやりたくなくなって、ユースも辞めてしまったんです。練習よりも幼なじみとの時間を優先させたいという気持ちが、その時は強くなってしまいました。でもその時、裕二さんが毎日電話をくれて。初めは電話にもずっと出なかったんですが、ある日“地元の本屋で待っている”と。自分では会って断るつもりだったのですが、一緒にやっていた仲間が活躍していることとか、サッカーがやりたくなるような話を一生懸命してくれたんです。 さすがに“自分のことをここまで考えてくれる人がいるなら”と気持ちが動きましたね」

そしてグラウンドに戻ってきた長谷川選手。その後は全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会で準優勝し、U-18からトップチームへの昇格も果たす。
「戻ってきてからはサッカーが本当に楽しかったです。チームも強く、勝った時にみんなで喜び合うというサッカーの楽しさを知ることができました。裕二さんがいなかったら今、サッカーをやっていないでしょうね。移籍の時も“成長できるならいいんじゃないか”と言ってくれていましたから、ようやく試合に出られたことを一番喜んでくれていると思います」

今、試合に出られなかった3年間は決して無駄ではなかったと言い切れる。
「もちろん悔しい気持ちはずっとありましたが、自分に足りないものに気づき、それを一つひとつ乗り越えたことでピッチに立つ資格が生まれたのだと思います。試合に出れなかった期間、ピーさん(中河コーチ)から一歩一歩、確実に上がっていくことが必要なんだと常に声をかけてもらっていましたし、山形戦に出ることが決まってからは、前日も試合前も特にメンタル面を指導してもらっていました。山形戦のピッチに立ったことで、サッカーがさらに楽しくなったので、これからは着実に成長していることを表現できるステージにしていきたいと思っています。シーズンも残り2カ月足らずですが、チームでは誰一人として昇格をあきらめていないので、サポーターのみなさんも最後まで一緒に戦ってほしいです」

長谷川 徹 - これからは成長を表現できるステージにしていきたい

長谷川 徹

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