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Vol.48 高崎 寛之

“本気でサッカーをやりたい”と
受験して希望の高校へ

高崎選手は茨城県出身。7歳上の兄に影響を受け、小学校のスポーツ少年団でサッカーを始めた。
「小学校の時は、身長はそれほど高くなかったんです。でも、シュートをたくさん決めていましたし、足が速かったこともあり、県選抜や関東選抜にも選ばれていました。技術レベルが高いというよりは、スピードで攻めるタイプでしたね。そのまま地元の中学校に進んでサッカー部に入ったのですが、そこも県大会で優勝しているような強い学校でした。それでも小中学校時代はJリーグに憧れがあったわけではなく、プロになりたいと思ったこともありませんでした。とにかくサッカーをしているのが好きでしたね。でも、中学1年の終わり頃から中学2年にかけて、理由は色々あったと思うのですが、試合になかなか出られなくなり、以前ほどサッカーに真剣に取り組むことができなくなってしまったんです。」

部活は3年生まで続けていたが、サッカーよりも勉強に力を入れるようになり成績もよく、高校は地域で一番学力レベルの高い学校に進もうと決めていた。
「でも、やっぱりもう1度、サッカーにきちんと取り組みたいという気持ちが強くなってきたんです。中途半端なまま終わらせたくないし、また試合にも出たいなと。そして、サッカーを本気でやるなら、兄が高校時代に指導を受けた清田監督に教えてもらいたいと思いました。それで、願書提出の最終日に志望校を変えたんです。親には大反対されましたけどね」

そして、無事に茨城県立古河第三高校に合格し、清田監督率いるサッカー部へ。自宅から学校までは遠く、往復約40kmの道のりを3年間、毎日、自転車で通った。
「高校の時は身長183cmで体重は73kgしかなくて、ひょろひょろだったんですが、毎日の自転車通学で脚力もつきましたし、徐々に体もできていきました。サッカーも粗削りでしたが、監督が1年生から試合に使い続けてくれて、もまれながら徐々に力がついていったんです。本当にサッカーをみっちりやった3年間でしたね」

高崎 寛之

高崎 寛之

大学で初めて意識した
プロサッカー選手という選択

高校卒業後は推薦で強豪・駒澤大学に進む。練習は非常に厳しく、走り込みが中心だった。
「高校の練習もそれなりに厳しいと思っていたのですが、プレーや試合が中心だったんです。走り込みはしたことがなかったので、大学の練習は衝撃でしたね。大学に推薦で入った自分以外の他のチームメイトは全国区の強豪校出身者ばかり。自分一人、素人みたいな感じでした。そんな中で走らなければいけないし、技術も追いつかなければいけなくて、本当に必死でした。秋田監督も厳しくて、怒られることも多かった。もちろん、嫌になることもありましたが、そうやって怒ってもらえなくなったら終わりだという気持ちがあったんです。だから、フォワード全体や自分への要求に応える努力はものすごくしていました」

サッカー部内はA~Cチームに分かれていたが、おかげで常にAかBチームにいることができた。また、関東大学サッカーリーグ以外の大会も多く、そうした試合に出場して得点王やMVPに何度も輝くなど、実績を積んだ。
「当時はベガルタ仙台で活躍している赤嶺さん、京都サンガF.C.の原さん、前名古屋グランパスの巻さんが、駒澤の不動の3人FWだったんです。だから、自分がリーグ戦に出場できるようになったのは、赤嶺さんの卒業後、3年生になってからでした。それから関東選抜に選ばれて、Jリーグのチームからオファーをもらうようになり、初めてプロという選択肢が見えてきたんです。技術はまだまだだけど、自分では速さや得点力、裏への飛び出しは通用するのではないかという思いがありました。それに何よりもまだまだ成長できる実感があったので、プロに入ってうまい選手と一緒にプレーしていくことで、どこまで伸びるか試してみたいという気持ちが強かったです」

誘いがあったチームのうち、高崎選手が選んだのは浦和レッズだった。
「浦和レッズに入ることで、試合に出られる可能性が薄れることは分かっていました。それでも、自分がどう成長できるのか試してみたかった。でも、やはりビッグクラブでやっていくのは、思っていた以上に厳しかったです」

浦和レッズで1年間プレーした後、2009年は水戸ホーリーホックに期限付き移籍する。そこで、46試合に出場、19得点をマークする活躍を見せた。翌シーズンは再び浦和レッズに戻り、2年間プレーした後、2012年にヴァンフォーレ甲府に移籍した。

高崎 寛之

高崎 寛之

葛藤の末、決断した
ヴォルティスへの移籍

ヴァンフォーレ甲府では1年間プレーしたが、試合に出られないことが後半戦は多くなり、出場は27試合にとどまった。
「よく『練習は嘘をつかない』と言いますが、どんなに練習でいいプレーをしても、それを試合で表現できなければ意味がない。これはプロ1年目からずっと思っていることです。だから、もし、自分が得点できていなかったとしても、試合に出ていたのなら甲府でプレーを続けたと思うんです。でも、ベンチで終わることが多く、ずっと自分の中で葛藤がありました。こんな自分が今シーズンJ1に昇格した甲府で何ができるんだろうと。もっと存在感を示していかなければ、プロの世界では残っていけないと思ったんです。もう1度、J2でもまれて、結果を残していきたい。決して長くないプロサッカー選手生活ですから、やっぱり試合に出ている自分をみんなに見てもらいたいし、試合で評価してもらいたい。そんな思いもあって移籍を決意しました」

移籍先にヴォルティスを選んだのは、「自分を必要としてくれている」と強く感じたからだ。
「熱心に誘ってもらったことが一番大きかったです。1次キャンプ、2次キャンプでは、毎日のように小林監督に細かい動きを指導してもらいました。そうやって何度も練習してきたポストプレーなどに、自分の特徴である裏に抜ける動きを組み合わせていければ、自分ももっといいプレーができると思うし、チームに貢献できると思っています。そして、まずはフォワードをはじめとする軸がしっかりしていれば、監督が目指す3-4-3のシステムもきちんと機能していくし、間違いなく、いいサッカーができるという自信があります。これからもチームメイトとたくさん話をして、開幕まで練習を積んでいきたいですね。練習してきたことを試合で出していけば、必ず得点につながると思います」

難しい状況下でも、バランスを取ってさまざまな態勢からシュートを打てることが高崎選手の強みだ。今シーズン、どんなゴールシーンを見せてくれるのか、期待がかかる。
「混戦になっている時は、ゴールを見ないでシュートしています。キーパーを見たり、下を見たりしていてもゴールの位置は把握できていますし、やっぱり感覚で覚えていますね。お尻や背中に当たって入ったゴールでも、すべて同じ1点。どんな形でもいいから、積極的にゴールを狙っていきたいです」

高崎 寛之 - いいプレーを試合で表現できなければ意味がない

高崎 寛之

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