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Vol.82 石井 秀典

人生で一番悩んだ
移籍という選択

今年30歳になる石井選手は大学卒業後、モンテディオ山形で7シーズンプレーしてきた。加入1年目から36試合に出場。その年、モンテディオ山形はJ1初昇格を決め、石井選手も2009シーズンから2011年までJ1で3シーズンプレーする。2012年からは再びJ2でのプレーとなったが、2014年はJ1昇格プレーオフを制していた。
「加入から7年の間に2度の昇格と1度の降格を経験し、降格した責任も感じてきましたが、昨シーズンは昇格に貢献できたという自負もありました。前半は自分も試合に出られませんでしたが、試合に出ていない選手もどんどん調子がよくなり、チーム全体が“やれる”という自信を深めていったんです。シーズン後半は自分も含めて前半は試合に出ていなかった選手たちが活躍して、6位まで順位を上げてプレーオフに進出し、昇格することができました」

石井選手もプレーオフで活躍したメンバーの1人だ。チームに残り、今シーズン再びJ1でプレーするという選択肢もあった。
「決してモンテディオ山形で試合に出られるかどうかという可能性を考えて移籍したわけではないんです。どのチームに行ってもポジション争いは必ずありますし、むしろ競争がなければ成長もないと思っています。昨シーズンも前半戦と後半戦のメンバーが大きく変わる中で昇格に貢献できましたし、J1昇格後のチームでもまた活躍できるという自信は持っていました。ですが、伸二さんが監督を務めるヴォルティスというチームと、伸二さん自身から話をいただいたことが大きかったです」

石井選手がモンテディオ山形に加入した2008シーズンからチームを率いたのが小林監督だった。監督が退任する2011シーズンまで4シーズン指導を受けた。
「プロの世界ではできて当たり前で、指導なんてしてもらえないと思っていました。だから大学を卒業してプロになってすぐ伸二さんに初めて出会った時、ディフェンスについて細かく指導してくれたことに驚いたんです。自分自身がなんとなく曖昧にしてきたことも指摘されましたし、そういった数々の指導が今、すごく活きています。そんなふうに本当にお世話になってきた監督の誘いだったので、もう一度、一緒のチームで指導を受け、共に戦う機会があるのならとヴォルティスに来ることを選びました。これまでの人生で一番悩みましたが、最終的には本当に必要としてくれている所でプレーしたいという自分の気持ちに従いました」

意識的なプレーで勝ち切れる
試合を増やしたい

1次キャンプ、2次キャンプでは練習試合でも活躍。キャンプ中は積極的に声を出し、ラインを統率する姿が見られた。
「移籍は初めてなので、キャンプ中はどういうチームなのかを理解し、自分がそこにどう馴染み、どう表現していくべきかを考えながらチームに入っていきました。一番感じたのは、昨シーズンJ1でプレーしてきただけに能力のある選手が揃っているということです。さらに練習していく中で、その力を最大限に表現できていないということも感じました」

開幕戦ではスタメン出場を果たすも、肉離れを起こして離脱を余儀なくされる。
「自分が一番驚きました。まさか肉離れを起こすことはないと思っていましたし、スタッフからもずっとそう言われていたからです。キャンプ中はほとんどの練習試合で起用してもらっていただけに、ケガでチームに貢献できなかったことがショックでした。開幕戦自体もまだ自分の力をチームに落とし切れていないことを痛感させられる内容だったので、そういう中でケガをしたことにも落ち込みましたね」

約2週間で練習に復帰。だが、その間にチームは勝ち切れない試合が続き、5試合で1勝3敗1引き分けとなっていた。
「この期間の試合はボールを前につなぐことを意識しすぎた結果、失点につながるという流れが多いと感じていたので、もし次に試合に出た時はつなぐことがすべてではないということをはっきりさせた上でプレーしたいと思っていました」

4月11日の第7節水戸ホーリーホック戦でサブメンバーに入り、第8節京都サンガF.C.戦でスタメン復帰を果たす。失点ゼロに抑えて5試合ぶりの勝利に貢献。その後は全試合にフル出場しているが、守備が安定してきたにも関わらず勝てない試合が続いている。
「守備面ではセットプレーからの失点が増えていることが問題で、今までできていたことができなくなっていることからも修正が必要だと考えています。個人個人がもっと寄せられるようになればボールを奪うチャンスも増えるので、そういう意識を高めていかなければいけないと思います」

ゲームキャプテンを務めることも多いが、なかなか勝てずにいるチームの状況についてどう考えているのだろうか。
「終了間際に失点した第16節のジュビロ磐田戦や得点した直後に失点した第18節カマタマーレ讃岐戦など、最も失点してはいけない時間帯にしてしまう試合が続きました。もっとお互いに声を掛け、いいバランスや寄せ、攻守の速い切り替えを徹底するなどして、そこを自分たちの強みにしていかなければいけません。特に攻守の切り替えを増やすことでカウンターからの攻撃も増やせますし、速い攻撃を仕掛けることでチャンスも増えていくはずです。みんながうまく寄せることで相手を追い込み、オフサイドなどを取れるようなプレーも理想です。こういったことを意識的にやって、勝ち切れる試合を増やしていきたいです」

サポーターの声が試合を通して
ピッチに鳴り響いていて力になった

高校時代からポジションはディフェンダーだった。インターセプトのうまさには定評がある。
「インターセプトではポジショニングをかなり意識しています。色々なタイプのディフェンダーがいますが、自分は1人で飛び込んでいくのではなく、コンビを組む相手とうまく協力した上でボールを奪うタイプだと思います。常に限界を超える努力は惜しみませんが、求められていることを理解してピッチで表現するとともに自分のよさをどう出すか、今の自分にできる限界を理解した上でプレーすることを大切にしています。こうやって限界を分かっていることはプレーする上で重要だと思っています」

子どもの頃から漠然とJリーガーになりたいと思っていた。全国中学校サッカー大会の出場経験もあるが、サッカーを続けて来たのは地元のサッカーチームや中学校のサッカー部だ。
「ごく普通の公立中学校で、サッカー部も決して強いチームではありませんでした。県内のサッカー強豪校である市立船橋高校に入学した先輩の話を聞いて、自分が入るのは厳しいだろうと思っていたんです。でも、そんな高校から誘いを受けて、自分にどれだけのことができるのか試してみようと思い、入学を決めました」

卒業後、プロになる同級生もいたが、石井選手自身は在学中からすぐにプロとしてやっていけるとは全く思えず、大学進学を選んだ。
「プロになりたいという気持ちは大学に入ってからも持っていましたが、実際になれるとは思っていなかったですね。入学した明治大学は関東大学サッカーリーグの2部でしたが、2年生の時に1部に昇格したんです。さらに主将を務めた大学4年の時には全日本大学選抜のメンバーに選ばれ、そこで初めて“もしかしたらなれるかもしれない”と。でも、いざスカウトなどが始まる時期になっても、どこのチームからも全く声がかからず、このまま就職浪人するしかないかなとあきらめ始めていました。そんな4年生の10月に声をかけてくれたのがモンテディオ山形だったんです」

そして、プロ生活をスタートさせたモンテディオ山形からヴォルティスへ。長谷川悠選手、廣瀬選手など、モンテディオ山形で一緒にプレーしてきた選手とも再会した。
「チーム全体で選手が何でも言い合える空気をつくれるように、他の選手たちともピッチ内はもちろんピッチの外でも積極的にコミュニケーションを図っていきたいと思っています。昨シーズン、山形がJ1に昇格できたのは勝ち切れるチームなったことが大きいです。やはり勝点1ではなく、勝点3を取り切れるチームになっていかなければ、昇格は難しいと思います。そのためには練習からもっと厳しさを出していかなければいけないですし、これからも全員が同じ方向を向いて努力をし続けていくしかありません」

チームは第20節でジェフユナイテッド千葉から12試合ぶりの勝利を掴み取った。試合後、改めて今後の展望について語った。
「試合に臨む気持ちというのは毎試合変わりなく、ピッチで自分自身の限界を出すということを考えてプレーしていますが、千葉戦で勝った要因というのは自分たちの力だけでなく、ファン・サポーターの声が試合を通してピッチに鳴り響いていてそれが僕たちの力になったところが大きかったと思います。今までの試合は内容が悪くなかった試合でも勝ち切れないというのが続いていましたが、1勝できたということをきっかけに自分たちの良さをもっと出していけると思うので、その上でピッチで勝利を勝ち取り続けられるように、頑張っていきたいと思います」

全員が同じ方向を向いて努力し続けていく

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