Fan zoneファンゾーン

Vol.90 冨田 大介

チームに貢献できたことが
うれしかった

今シーズン、水戸ホーリーホックから加入し、開幕戦で後半59分に途中出場。だが、その後は第28節水戸ホーリーホック戦で前半28分に途中出場するまで、試合に出られない時期が続いた。その間、第21節までわずか3勝というチームの厳しい状況をどんな思いで見守っていたのだろう。
「チームが掲げていたポゼッションサッカーがうまく浸透せず、選手一人ひとりが自分の力を出し切れずにいるなと感じていました。後半からはシステム変更もあり、力を出せるようになったことで少しずつ結果も出てきたと思います」

後半戦は第29節からフル出場。第32節カマタマーレ讃岐戦でセットプレーから得点を挙げ、チームの勝利に貢献。第34節セレッソ戦でも再びセットプレーから得点し0-1から引き分けに持ち込んだ。
「讃岐戦ではいつもと違うサイドバックのポジションを任されていたので、相手が引いていたこともあり、セットプレーで得点できればいいなと考えていました。どの試合でも勝点3を取らなければいけない厳しい状況の中で、イメージ通りに得点でき、チームにも貢献できたことがうれしかったです」

だが、最終的には目標だったJ1昇格を果たすことはできなかった。
「“これに勝てば上に行ける”という大事な試合で勝ちきれない、それが続いたことが大きかったと思います。決してチームが1つになれていなかったわけではありません。でも、全員がこの試合は大事なのだという強い意識をもっと持たなければいけなかったし、そのために何かが足りなかったのではないかと。自分自身も選手たちがそういう意識を持てるように声を出すなど、もっと色々なことをやれたのではないかという後悔がありますし、目標からはるかに下の順位でシーズンが終わってしまったので、サポーターの皆さんには申し訳ない気持ちでいっぱいです」

プロになるために
中学生の時から準備してきた

冨田選手は一般入試で筑波大学に入学し、大学卒業後、プロサッカー選手になった。高校も公立校に一般入試で進んでおり、サッカー選手の中では珍しい経歴だといえる。
「ずっとプロになりたいという目標があったので、まずは高校卒業後、サッカー選手を多く輩出している筑波大学に行こうと。そのためにどうしたらいいかを高校選びの段階から考えていたんです」

中学卒業後は目標通り、地元の山口県立宇部高校に進学する。
「高校のサッカー部ではサッカー経験のある顧問の先生もいなかったですし、進学校だったので部活の練習もそれほど厳しくありませんでした。筑波大に推薦で入れたらいいなと思っていましたが、そんなに甘くはなく、結局、受験して入学したんです。いざ大学のサッカー部に入ってみたら、全国からスポーツ推薦で入ってきたすごい選手がたくさんいて、そんな中で自分がやっていけるのか不安もありました。うまくいかないことも多く、もがきながらの4年間でしたが、今まで自分の感覚で自由にサッカーをやってきただけに衝撃的なことばかりでしたし、サッカーの本質や局面の判断などをきちんと学ぶことができて充実していましたね」

大学では常にレギュラーを獲得できたわけではなく、試合に出たり出られなかったりという状況だったが、4年生の途中からは出場機会がなくなってしまう。Jリーグからのスカウトも全くなく、様々なチームのセレクションを受けてもことごとく落ちる日々が続いた。
「でも、大学のコーチと水戸ホーリーホックの二宮 浩監督(現・ルーヴェン高崎FC代表)が大学の先輩、後輩だった縁で、水戸の練習に参加させてもらい、セレクションも受けさせてもらうことができました。セレクションの時、とても調子がよくて入団が決まったんです」

そして大学卒業後の2000シーズン、水戸ホーリーホックがJ2に初昇格したシーズンに加入し、1年目から33試合に出場。公立高校のサッカー部からプロを目指す選手にとって、冨田選手の経歴や活躍は大きな励みになるのではないだろうか。
「決して順調ではありませんでしたが、自分の場合は中学生の時からプロになりたいという目標があったからこそ、自分の将来と可能性を信じてサッカーや勉強に取り組むことができたと思います。僕は幸いにも中学生の時に目標を持つことができましたが、それが見つかる年齢は人それぞれです。もし今、明確な目標がなかったとしても焦る必要は全くありませんし、今の状況の中で精いっぱい頑張っていくことで行きたい道も自ずと決まってくると思います。進路を決めるのはそれからでも遅くないと思うので、まずは今、できることをしっかりやることが大事だと思います。そして、大学卒業後にプロになることを目指す場合、即戦力として見られることを覚えておいて欲しいです。1年目からすぐに結果を出すという強い気持ちと危機感を常に持たなければ、簡単にはサッカー選手として活躍できません。厳しい部分が多いですが、大学の4年間、サッカーに取り組んできたことに自信を持って、得たことを発揮していって欲しいです」

J1でプレーしたいという
気持ちを常に持っている

水戸ホーリーホックで4シーズンプレーした後は、大宮アルディージャ、ヴィッセル神戸、ヴァンフォーレ甲府でプレーし、再び水戸ホーリーホックを経てヴォルティスへ。2016年は30代最後の年となるが、プロサッカー選手として活躍を続ける原動力は何なのだろうか。
「自分の中でサッカーを辞めてもいいとか、もう無理かなと思ったことが1度もないんです。高校年代も含め、日本代表に選ばれたことも、全国選手権に出たこともないので、日本一になりたい、タイトルが欲しいという気持ちも常にあります。そうやってサッカーで満足したことがないことが続けている一番の理由だと思います。色々なチームでサッカーのことを勉強してきて“こういうふうにやればうまくいくんだな”と気づいたこともたくさんあり、今、それを活かして楽しくサッカーができているので、もっと追究していきたいですし、まだできる、もっとできるという気持ちの方が大きいです。単に諦めが悪いのかもしれませんね(笑)」

選手として練習に励む傍ら、コーチのライセンス取得に向けても取り組んでおり、このシーズンオフにも講習を受けている。
「引退を見据えて準備しているわけではないです。ただ、先に引退した人の方が指導者歴は長くなるわけですから、自分がずっと現役を続けているということは、指導者としてのスタートは遅れるわけです。それなら現役であることを活かして、現場で感じたこと、疑問に思ったことなどにアンテナを張りながら勉強しておこうと。将来、実際にコーチになるかは分かりませんが、今、できることをやっておきたいという気持ちが大きいです」

このインタビューはシーズン終了時(2015年12月上旬)におこなったものだが、2015年12月24日には契約更新のリリースが出て、来シーズンもヴォルティスでプレーすることとなった。これまでJ1、J2でプレーし、昇格も降格も経験してきた冨田選手だが、プレーするチームを決める際にどんなことを大切にしているのだろう。
「人の意見に流されないことです。自分で決断しないと最終的に後悔してしまうと思うので、落ち着いた状況ですべて自分で決断するということを大切にしています。そして、J1でプレーしたいという気持ちを常に持っているので、これからも自分が1つ上にステップアップできるチーム、それを目指せるチームでプレーを続けていきたいです」

もっとできる、という気持ちの方が大きい

PAGE TOP